"HAMILTON"って?最終回

話をもとに戻しまして、④の続きです


1980年代に入ると、ハミルトンはその100年に渡る歴史に目を向けるようになります。

クラシック・デザインの黄金期ともいえる1920年代から1960年代にかけての
歴史的な名作ウォッチを次々に復刻していきました。

「ボルトン」「パイピング・ロック」「ベンチュラ」・・・

こうした名品の復刻は、時計業界全体をクラシック回帰のトレンドへと導きます。


そして現在・・・

一昨年の2008年に発表された「カーキ・オフィサーオート」
時計業界に「レトロ・ミリタリー」という全く新しいジャンルを確立してしまうほどの大旋風を巻き起こし
昨年2009年はエルヴィス・プレスリー生誕75周年を記念し
エクステンション・ブレスレットが付いたエルヴィス仕様や
1957年の発売当時、4ヶ月間だけ製造されたツートーンストラップを装着したもの
新しい視点からリバイバルされた新型自動巻タイプなど
様々な「ベンチュラ」が登場し、話題を独占しておりました。

そして、今年2010年においても話題の中心になるであろう噂が海外の情報サイトから流出し始めております。
なにやら今回は前回お話した「パルサー」が・・・
「Pulsomatic」なる名前と共に・・・

mib.jpg

(ちなみにこれは2002年に復刻された"MIB"モデル)


というように、いつの時代も話題に事欠かない「ハミルトン」の世界観をお楽しみいただける

「The American Watch HAMILTON」

2010年3月1日(月)から3月31日(水)まで


アルキメデス・スパイラル
アルキメデス・スパイラル 丸の内
アルキメデス・スパイラル 新宿
レジデンツ バイ アルキメデス・スパイラル 六本木ヒルズ店

の4店舗にて開催いたします。

現行品に限らず、アンティーク・ウォッチの世界を垣間見れるのもアルキメデス・スパイラルのウリでもあり
この企画もその例にはもれていないようですので、ぜひ一度のぞいてみてはいかがでしょうか。


つづきは店頭で

"HAMILTON"って?番外編~アルキメデス・スパイラルとハミルトン

せっかくなので、我々とハミルトンにまつわるお話を少し・・・。

アルキメデス・スパイラルとハミルトンの関係は意外に深く、アルキメデス・スパイラルが誕生した2000年に遡ります。


当時、新店舗の立ち上げを記念してオリジナル・ウォッチを製作していたいと考えていた我々は
いろいろなブランドと交渉を重ね、最終的に"ハミルトン"に行き着きました。
この頃のハミルトンは、今よりももうちょっとだけ柔軟な対応が可能であったため
針とダイアル、レザーストラップを新規で作り既存モデルに組み込み
シースルーバックにはショップロゴをプリントし、シリアルナンバーを刻印するというモデルを200本限定で作ってみました。

ベースモデルに使用したのは"ビューマチック H18315751"という今では廃盤になってしまったモデル。
これに1961年製のポケットウォッチ"Chatelaine"という、1960年代にドクターズ・ウォッチとして人気だったモデルを採用。

viewmatic+chatelaine.jpg


こうして出来上がったのがこの時計

original.jpg

もともと付いていたブラックのストラップ(写真右)と新規で製作したピッグスキンのストラップ(写真左)の2本のベルトが付属
これでベースモデルの価格(¥52,500)据え置きだったのでなかなかお買い得だったのでは。
(ちなみにこの商品は完売のため入手不可です。開発サンプルが丸の内店に飾ってありますので探してみてください。)


こうしてハミルトンとのディープな関係が始まったのです


その後も"オフィサーオートの限定色""カーキフィールドの超少数限定モデル"など
商品面でもいろいろな取り組みをさせていただきましたし
最近ではグループの主力商品として全店統一で様々なフェアを開催するなど
ますます深い関係になってきている今日この頃です。

そんな訳で、ハミルトン・フェアを今年も開催いたします。


つづく

"HAMILTON"って?その④

pulsar.jpg「ベンチュラ」によるエレクトリック・ウォッチに続き
1970年には世界初のLED(発光ダイオード)式デジタル・ウォッチも発表したハミルトン。
このデジタル・ウォッチ「パルサー」もまた、ハミルトンの名作のひとつです。

彫刻家アーネスト・トローバによる近未来的なデザインとLEDによる光るデジタル表示は
当時の人々にデジタル時代の到来を強烈に印象付けたといわれています。
また、当時としては非常に高価な時計であったにもかかわらず
各界の著名人の間で爆発的な人気となり
「フォード大統領をはじめとする各国のVIPが挙って「パルサー」を買い求めた」
という逸話が残っているほど。


こうしたエレクトリックやLEDデジタルといった革新的な技術開発だけではなく
ハミルトンは伝統的な機械式時計の技術革新にも大いに貢献していました。


1969年に開発・発表された世界初の自動巻クロノグラフムーブメント「キャリバー11」
このムーブメントの開発にあたったのが
現在のタグ・ホイヤーにあたる「ホイヤー・レオニダス」
今日でもクロノグラフ中心に展開している「ブライトリング」
クロノグラフのモジュール開発を得意としていた「デュボア・デプラ」
そして、この開発の3年前にマイクロ・ローター式自動巻の特許を持っていたスイス時計メーカー
「ビューレン(Buren)」を買収していた「ハミルトン・ビューレン(Hamilton-Buren)」
の4社でした。
(この半年後にかの有名な「エル・プリメロ」が発表されるのです)

このとき開発された自動巻機構は、通常の機械全体にかかるローター(回転錘)ではなく
クロノグラフ・モジュールの下に内蔵された「マイクロ・ローター」式であり
ここから推測できるのは、前述のように「マイクロ・ローター」の特許を持つ「ビューレン」を傘下におさめていたハミルトンが
この開発に大いに貢献したということではないでしょうか。
(今回の企画上、かなりハミルトンよりの推測となっておりますが・・・)


革新的なデザインばかりに注目されがちなハミルトンですが
その歴史を紐解くと、時計製造技術においても様々な技術革新を行ってきており
その技術に裏打ちされた確かなモノづくりがあってこそ、独自のデザイン性が活きてくるのではないでしょうか。


ちなみに、この自動巻クロノグラフが開発された頃に
創業以来のアメリカ工場を閉鎖、生産拠点をスイスに移設し
「アメリカン・スピリット」「スイス・メイド」なハミルトンが完成するのでありました。


つづく

"HAMILTON"って?その③

electric_ad.jpgミリタリーウォッチの分野で目覚ましい発展を遂げたハミルトンですが
戦後、新機構の開発やデザインの革新という分野においてその存在感を発揮します。

1957年、それまではゼンマイを動力源とする機械式であった時計の構造に
世界で初めて"電力"を動力源とする腕時計を開発したのです。

ゼンマイの動力を歯車に伝え、テンプで調速し時刻を表示するという従来の機構に
ゼンマイの代わりに電池を使用し、その動力を歯車に伝え、テンプで調速するという
「エレクトリック」と呼ばれる、クォーツとは異なる電池式時計の開発に成功しました。

これが世界初のエレクトリック・ウォッチ「ベンチュラ」の誕生であり
現在まで続くハミルトンの代表作の誕生でもありました。


また、この「ベンチュラ」はデザインにおいてもインパクトを与えるものでした。

1950年代のアメリカの象徴ともいえる「キャデラック」。
その独特のテールフィンをデザインしたデザイナー
「リチャード・アービブ」が手がけたそのデザインは
既存の腕時計の概念を覆し、全く新しい価値を腕時計に付与することになるのです。


その新しい価値に真っ先に飛びついたのが「ハリウッド」でした。

1961年公開の「ブルー・ハワイ」において「エルヴィス・プレスリー」がこのベンチュラを着用して登場。
(その後、エルヴィスは公私にわたりベンチュラを愛用したことも有名な話)

また1966年には、スタンリー・キューブリック監督からの直接の依頼に基づき
映画「2001年宇宙の旅」で使用される「宇宙時計」2本が製作され
監督をはじめ、その映画に関わる人々を魅了しました。
2001.jpg

その後も現在に至るまで、ハリウッドにおける数々の名作映画において
ハミルトンの腕時計は俳優たちの腕元を飾り続けているのです。


つづく

"HAMILTON"って?その②

鉄道時計で広く認知されていたハミルトンは1910年よりアメリカ軍への時計納入業者となり軍用時計の生産を開始します。

そして1917年には女性用のペンダント時計に使用されていた小さな手巻ムーブメントを使用し
第一次世界大戦に向かう兵士のために最初の腕時計である「カーキ」を開発。
この腕時計が現代におけるハミルトンの2大カテゴリーのひとつである「カーキシリーズ」に発展します。

この腕時計の開発を機に、ハミルトンの本格的な腕時計製造が開始。
鉄道時計から始まったその活躍の場を、陸から海、さらには空へと目指し始めるのです。

1927年にはアメリカ有数の時計メーカーであった
「イリノイ時計(Illinois Watch Company)」
を買収することで腕時計製造体制がさらに強化され
その翌年の1928年、腕時計のデザイン史上に残るアール・デコの不朽の名品
「パイピング・ロック」が発売されました。


その後、全世界を巻き込む第二次世界大戦が勃発すると、ハミルトンは再び軍用時計の製造に注力します。
アメリカ軍との正式契約を求め、アメリカ国内の8社の時計メーカーと共にしのぎを削ったが
最終的にアメリカ軍が求める精度や耐久性の基準をクリアできたのはハミルトン1社だけだったのです。

これにより、第二次世界大戦中は一般用の時計生産を停止し全ての工場で軍用時計を生産、
アメリカ海軍に約10,000個もの時計を供給したほか
陸軍、空軍、さらにはイギリス、カナダ、ロシアなどへも軍用時計の供給を伸ばしていきました。


milspec.jpg

それぞれの軍用時計は、"ミルスペック"と呼ばれる詳細な規定に基づき製造された。

こうして名実共にアメリカ腕時計メーカーのトップブランドに成長し
ミリタリーウォッチから始まった「カーキシリーズ」
パイピング・ロックなどから始まった「アメリカン・クラシック シリーズ」という
2つのシリーズによるブランド展開が確立されたのです。


つづく

"HAMILTON"って?その①

pocket_ad.jpg来月の1日から始まる「ハミルトン・フェア」に向けて
各店舗では着々と準備が進んでいるようです。

ところで

「ハミルトンって何?」

という疑問を持った方もいらっしゃるかもしれません。


細かい各モデルに関する説明はお店のスタッフに任せることにして
ここでは時計ブランドとしての「ハミルトン」について少しだけ・・・。


ハミルトンが生まれたのは1892年、アメリカ・ペンシルバニア州ランカスター。
(1874年に創業された「アダムス&ペリー時計製造会社」を初めとみる説もありますが・・・)
「Hamilton Watch Company」の名で設立され、その同年に「Aurora Watch Company」を買収
翌年の1893年より懐中時計の製造を開始、これがハミルトンの時計製造の始まりでした。

その頃、遠く離れたスイスでは・・・
1843年に創業した「オメガ」が1903年頃に現在の「オメガ」という社名になったり
現在の「ブライトリング」となる精密機器専門工房が1881年に設立されたりしていた時代で
あの「ロレックス」ですら1900年ちょっと過ぎの創業なので、いかに歴史あるブランドかわかります。
また、日本においては、そのほんのちょっと前の1881年に現在の「セイコー」のもととなる「服部時計店」が創業
そして偶然にも同じ1892年に時計製造所である「精工舎」が設立されたのです。
その3年後に日本初の懐中時計の製造が始まりました。


話を戻しまして
この当時のアメリカでは、各都市を結ぶ鉄道網が急速に普及しだしており
それに伴い、鉄道員の使用する時計の精度の悪さに起因する鉄道事故が相次いでいました。
そこでクリーブランドの時計商であった「ウェブ・C・ボール」が鉄道時計の基準と査定を統一し
鉄道員の使用する時計の精度の向上に努めました。
(この人が後の「BALL」の創始者になるわけですが、ここでは割愛します)

つまり、アメリカ時計産業の発展の歴史は鉄道時計の進化と密接に関係しており
その中でも、ハミルトンの時計はその精度と耐久性から多くの鉄道員に愛用され
「アメリカ鉄道のタイムキーパー」
と呼ばれるほどのアメリカ名門時計ブランドへと成長していきました。


その後、ハミルトンはこの鉄道時計で培った時計製造技術をベースに数々の名作腕時計を世に送り出すことになるのです。


つづく