Archimedes Spiral 丸の内店

時計屋の時計選びVol.04

 長年、歌い続けてきたミュージシャンが「カバーアルバム」を出す時、あるいは芥川賞作家で文壇の大御所が「私小説」を出す時。対象への憧れは、経年変化により姿を変えて、
時より大きなブレーキをかけることがある。根源的な原風景の裂け目より出た、自我を出し続け、また情報と技術のみで表現することを試み、世の中の流れを見極めて自我が自己に帰化する境地。そういう時、人は信じられる何かを確認したくなるものである。原風景の直下にあるであろうと信じている、原始的な好奇心、言葉というよりは衝動的な感嘆詞が潜んでいる場所。
 最近、昔の時計を時々着けている。昔の時計は、昔の女と同じぐらい、冷たいものである。久しぶりに連絡したら、連絡先が変わっているのと同じように、久しぶりに着けようと思っていると電池が切れていたり、止まっていたりする。手巻き、自動巻きなどは、精度が合わず、昔の女の会話と同じ様にとぎれとぎれである。昔の時計は、何かの同義語になっていることがある。それは「初めて買った時計」であるかもしれないし「貯金をした時計」かもしれないし「貰った時計」かもしれない。残念ながら、昔の女の記憶同様に、そういう同義語は瞬間的なものはあって、長くは続かないものである(別に最近、昔の女と何かあったわけではない)そのため、昔の時計は時々着けることになる。
 ただし、その人間にとって信じられる何かは、昔の時計に潜んでいるものである。社会性など一切関係ない、無垢な選択眼に飛び込んできた時計。それは同義語以上に象徴となって、その人間の中に鎮座している。それを紡ぎだすことで、新たな時計が見つかるかもしれない。次回からは、そういう時計屋のカバーアルバム的ブログを書くことに、勝手に決めました。
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時計屋の時計選びVol.03

 時計が見つからない。携帯電話で時間を確認している。「携帯電話で時間を確認するより、腕時計で確認した方が早いし、効率的です」と言ってた自分が、である。人間は「効率」よりも「習慣」で動いていることを改めて知る。「とりあえず」選べばいいかもしれないが、「とりあえず」選べないには、深くない理由が存在している。それは時計屋としてのプライドであるとか、たくさん購入しすぎて好みが細分化したとか、そもそもお金が無いとかの問題ではない(いや、お金はいつでも欲しい)深くない理由、それは性格がアマノジャクだからである。
 幼少時代より、アマノジャクな根性が物選びに大きく影響している。ビックリマンは、ヘッドや天使を集めず、悪魔ばかりを集める。ミニ四駆がブームになれば、船のラジコンを買ってもらい、ローラースケートが流行れば、スケボーに乗り、ファミコンではなくて、PCエンジン、エアーマックスの時は、プロケッズのコロンビアを履く。クラスメイトがたくさん手を挙げる時は、手を挙げず、誰も手を挙げないときに両手で挙げる。そういう性格が災いして、小学校3年生の時に事件が起きる。
 事件の朝、母親が「今日は早く帰って来てね」という一言で、私は「遅く帰ることを」を胸に決めて遊びに出かけた。夜、いつもより遅い時間帯に帰ると、両親は激怒し「約束を守れない子は出ていきなさい」と私に言った。普通「いやだ」という所「わかりました」と言って家を飛び出したのである。「家出少年イコール堤防」と思った私は、街中をひたすら歩いていった。途中雨が降ってきたが、傘がなかったので、そのまま歩いているところで、大人の方に保護されたのである。車で自宅まで送ってもらっている時、私はクッキーをもらった。湿気ていて美味しくなかった。大人の方に「美味しいかい」と言われて「美味しいです」と答えた。
 次の日の朝礼、校長先生から「昨日、全校生徒が君のことを心配したのだよ。今から、朝礼台の上で、みんなにお謝りなさい」と言われた。「えー、昨日、とても遅くに帰宅し、ご両親や先生、友達のみんなに、とても心配をかけた生徒がみんなに謝りたいと言っている。みんな温かい気持ちで迎えてほしい」と言って私は朝礼台の上に立たされた。
そして、私はこう言ったのである「みんな、集まってくれて、ありがとう」と。そういうわけで、時計が見つからない。
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時計屋の時計選びVol.02  

 i_02.jpgのサムネール画像のサムネール画像簡単に自己紹介。日本に生まれた私は、父親の仕事の関係で、3才から12才までスイスのジュネーブで育った。自宅の近くに古城があり、そこが幼い私の遊び場であった。その隣がパティックの工場であったことから、父親はパティックを着けていた。「シンプルシティはアバンギャルドを超越する」というのが口癖で、父親は時計に限らずシンプルなものを何よりも好んだ。ベルヌーイ、ニュートン、ライプニック、バロー、マクローリン、沢口一之ら数学者を好み、書斎には彼らの書籍が山積みされていた。「世の中、最後はすべて丸くなる」という父親独自の仮説を持ち、休日はその証明に明け暮れる人であった。
 と、言うのはもちろん冗談である。本当は、父親は酒とギャンブルを愛する男である。「おれは3と8だけは絶対に買わない」というのが口癖であった。私の祖父は競艇場で心臓麻痺で亡くなったのである。その時、握り締めていた券が「3と8」であったために、そういう口癖になったのである。筋金入りのギャンブル好きであった祖父、当然色濃くその血を受け継いだ父親は、母親の結婚指輪を質に入れギャンブルをするほどであった。競馬新聞、いやらしい写真がのった週刊誌、願いがなんでも叶うというブレスレット、スナックを誰よりも愛していた。「競馬1本で生活できる」という独自の仮説を持ち、休日はその証明に明け暮れていた。そういえば左手には「PACHIK」という知らないブランドの時計をいつもしていた。父親から時計の影響を受けたことは1度も無く、生涯無いと思っている。

時計屋の時計選びVol.01

 4月の終わり頃から、時計を着けていない。時計屋としては前代未聞、カミングアウトとしては自虐的すぎる。時計の素晴らしさを語ってナンボの職業なのに笑ってしまう事態である。服屋が服を着ない、靴屋が靴を履かない、という日常レベルの困ったではない、時計屋の困ったお話である。
 思えば100本以上時計を買っている。高級なものはない。自分の欲望のままに、である。欲望は基本的に手の届きそうなものに発生するものである。TV画面の女優に恋したり、教科書の顔写真に焦がれることなどない、はずである。「これは仕事なんだ」という意識は表の顔で、裏の顔は憧れと興味の対象を見つけると、一直線に飛んでいく、ただの時計好きなのである。いやただの時計好きだったのである。国産時計から洗礼を受け、スイス、アメリカ、ドイツ、ロシアと買い進むに連れ、好みは細分化し、ついに時計を着けない日がやってきたのである。取扱い商品をしっかり身につけている先輩の時計から目をそらし、「あなたから時計を買いたかった」という元・後輩の嬉しすぎる言葉に耳を塞ぎ、友人から「結納返しの時計が欲しいのだがアドバイスしてほしい」という言葉に口を閉ざす、という正にミザル・キカザル・イワザルの3匹の猿状態である。
 そこで「自分自身に自分が接客をし、時計を買う」という1人2役を実行し、今本当に着けたい時計を探すことにした、ことをここに書こうと決めた。時計を買うまで、もしくは、大人の大きな力が働くまで、この「DIARY」を継続する。誹謗中傷、特に身内スタッフからのクレームは一切受け付けておりません。あしからず。
rb11ds_front.jpgのサムネール画像